新規勢力プレイの記録を残しておきます。
まずは登場人物の紹介です。
前回のデモプレイの時と同様に自分の分身が主人公です。
能力盛り過ぎなのは本当にすみません。
今回は大名としてちゃんと操作してやっていきます。
一人目の家臣はプロ野球界からの殴り込みです。
北の侍や尾張の侍とも呼ばれているので流石に似合いますね。
能力値はパワプロの最新データから変換して決めました。
統率 = (ミート×2 + パワー)÷3×1.2
武勇 = (弾道×25 + パワー×2 + 肩力)÷4×1.2
知略 = (ミート + 守備力×2)÷3×1.2
政治 = (走力×2 + 肩力 + 捕球×2)÷5×1.2
こんな感じです。
二人目の家臣もプロ野球界からお呼びしました。
最も侍という呼び名が似合う選手だったのではないでしょうか。
こちらも上記の式で能力を決めています。
以上、3人の武将を高知の端に配置してスタートです。
シナリオは桶狭間の戦いにしました。
城の場所は水曜どうでしょうでもお馴染みの足摺岬の近くです。
まずは長いものに巻かれます。
長宗我部に臣従して動きやすくしました。
1年間内政に励んだ後の1561年3月、小笠原隊で隣の宿毛城へ攻めかかります。
あっさりと宿毛城を攻略しました。
いやぁ、強いです!
さぁどんどん進軍していくぞ! と思っていたら戦闘の要の小笠原さんがFA宣言してしまいました。
敵に回したくなかったですね。
それでも前田さんと力を合わせて城を3つにしました。
すると長宗我部家から臣従を解かれてしまいました。
案外あっさりですね。
1562年7月、敵軍の将として出陣している小笠原さんを見つけました。
窪川城を狙っているみたいです。
しかし、ここは引くわけにはいきません。
窪川城を甲斐家のものとすべく小笠原隊と激突します。
数の力で小笠原隊を退け、4つ目の城を手に入れました。
1562年10月の甲斐家の様子です。
北に勢力を伸ばすか、東の長宗我部を倒すか悩むところですね。
まずは力を蓄えるために北へ進軍し、大森城を手に入れました。
5つの城から全兵力を東へ進めると、なんと長宗我部のトップ、長宗我部元親と直接戦うことになりました!
そして前田さんの大活躍で長宗我部元親を捕縛!
解放すると長宗我部の力を落とすことができないので処断しました。
開始から7年で支城7個に勢力を伸ばしました。
そこから1年後に北の西園寺家を滅ぼし、8個目の城を手に入れました。
だいたい1年に1個、城が増えてますね。
我が軍の勢いは加速して、1569年5月には長宗我部家を岡豊城だけにまで縮小させました。
しかし、さすがは長宗我部家です。
岡豊城を落とすのに2年もかかってしまいました。
開始から11年経った四国の状況はこんな感じです。
西を甲斐家、東を三好家が支配し、河野家は風前の灯火です。
そして1572年10月、甲斐家が河野家を滅ぼして四国の西半分を手に入れました。
河野家を滅ぼしたことで小笠原さんも戻ってきてくれました。
今回はFA宣言しないで欲しいです。
開始から15年目、九州の覇者である島津家を盟主とする反毛利連合が結成されました。
毛利は三好を滅ぼして香川と徳島を手に入れていたので恐ろしい存在でした。
味方の宇喜多家は毛利と織田に囲まれて可哀想ですね。
島津家との結び付きを強くするため、娘の光を歳久様に嫁がせました。
もう島津とは争うつもりはありません。
協力して毛利や織田に対抗します。
1576年5月、連合を組んでいた宇喜多家は滅ぼされてしまいましたが島津家も岡山と島根まで勢力を伸ばしました。
1579年5月、島津家が毛利を滅ぼし、我が甲斐家も四国全てを手中に収めました。
各地方の覇者が出揃いつつあります。
しかし、ここで我が甲斐家は平和の道を選びました。
信長様の長男、信忠様に娘を嫁がせ、織田家と婚姻関係を結びました。
そして、1581年1月、織田家の中心で虎の威を借りていた足利家を滅ぼします。
ナンバーワン、ナンバーツーの勢力と手を組み、四国全てと日本の中心の城を手に入れたので、もう我が甲斐家は安泰でしょう。
クリアしたことにします!
結び
ずーっとぶっ通しでやり続けていたら気がつくと深夜3時でした。
波乱万丈の人生、楽しかったです。