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1564年7月
島津が攻めてきた。
いきなり4000もの兵が廻城を目指して出陣。
志布志城へは1000。
長野家が武田家によって滅ぼされた。
武田は健在。
島津の猛攻は止まらない。
志布志城へはさらに1000の兵が追加。
→総勢2000。
たった300の兵だがはじめを大将に志布志城の前に待機。
廻城の防御は優希隊1000人。
島津を待ち受ける。
各方面からわらわら集まってくる。
志布志城で戦闘が始まった。
→細山田衆が援軍に来てくれたが相手にも国人衆が付いている。
島津家久隊が廻城の攻撃に加わった。
→これで総勢4500。
→たった1000で迎え撃たなければならない。
廻城でも戦闘が始まった。
→財部衆が援護に来てくれた。
はじめ隊が川上久朗隊を打ち破った。
→志布志はなんとか耐えてる。
廻城は劣勢。
はじめ隊は一度帰城。
廻城では優希と三郎が奮戦中。
1564年8月
戦況報告を確認した。
廻城では1000の兵で3000の敵と戦闘中。
→劣勢の模様。
先月の収支を確認した。
工作支出で赤字。
行動報告を確認した。
山ヶ野衆の関心が上がった。
勝平が成長した。
志布志城の兵舎を開発した。
最大兵数を上げておく。
山ヶ野衆を懐柔した。
もう少しで90%。
優希自ら働きかける。
商人に兵糧を売却した。
1720売ってお金を稼いでおく。
阿蘇家の援軍を頼めるようになった。
工作は一旦中止。
島津との戦闘が続く。
はじめは200の兵で志布志城の前に待機。
優希隊は四方を囲まれ絶対絶命。
敵の勢いは止まらない。
阿蘇家に援軍を頼んだ。
ちょっと遠い。
鍋城に来てもらって島津の兵を引きつけてもらう。
志布志城での戦闘が再び始まった。
はじめにはなんとか守りきって欲しい。
串良衆が援軍に来てくれた。
島津貴久隊も志布志城を目指して出陣した。
島津忠将隊は廻城へ。
はじめ隊が消滅。
志布志城に残された兵はわずか199。
廻城は国人衆の助けもあってまだ奮戦中。
志布志城が包囲された。
はじめは100の兵で出陣。
打ち払うために奮戦。
とうとう優希隊が消滅。
はじめ隊はわずか6人でしのぐ。
廻城も志布志城も大ピンチ。
優希もはじめも籠城中。
1564年9月
先月の収支を確認した。
兵糧を売ったので大きく黒字。
行動報告を確認した。
兵糧5428が民から納められた。
山ヶ野衆を懐柔した。
全然上がってなくてむしろ下がっていた。
三郎に任せる。
廻城の商業を開発した。
島津に攻撃を受けているため減少。
島津との戦闘が続いている。
廻城が包囲された。
落城も時間の問題か。
ちょっとずつ廻城の耐久が減少中。
はじめの100の兵で切り抜けるしかない。
串良衆にも頑張ってもらう。
さらに500の兵が志布志城に向かっている模様。
はじめ隊は消滅。
志布志城も包囲された。
廻城にもさらに島津義久隊、500の兵。
どちらも落城寸前。
はじめ、お波、勝平が寝返った。
→まさかはじめが…。
志布志城は島津家のものになった。
伊東家が大友家によって滅ぼされた。
宮崎では伊東家が滅亡。
1564年10月
戦況報告を確認した。
廻城は約2000の兵に囲まれている。
収支報告を確認した。
収入がなくなってしまった。
行動報告を確認した。
合戦や一揆のため収入が得られなくなってしまった。
山ヶ野衆の関心が上がった。
武将情報を確認した。
猪口家に残ったのは優希と三郎のみ。
島津家の猛攻が続く。
廻城の耐久は残り6割。
城が燃えている。
廻城を奪われた。
猪口家が島津家によって滅ぼされた。
やはり島津は強かった。
猪口家の野望はこれまでらしい。
そしてタイトル画面へ…。
悲しい。