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1560年10月
島津義弘隊が相良家の犬童隊を追い払った。
さすがの武勇。敵にしたくない。
その後は内城へ帰っていった。
1560年11月
先月の収支を確認した。
やはり工作の支出が大きい。
→肝付家への工作はそろそろ終了でいいかもしれない。
肝付家への工作を終了した。
信用69もあるので十分。
三郎は頼りになる。
国人衆を懐柔した。
迴城の南にいる財部衆を懐柔。
三郎を向かわせる。
廻城の北にいる山ヶ野衆も懐柔。
こちらは勝平を向かわせる。
廻城の石高を開発した。
兵舎の最大数を増加させる。
島津の2部隊が出陣した。
義弘はまた出陣。
もう一つの部隊は島津日新斎。
北の相良家を狙っている模様。
→阿蘇家の部隊が守りに向かっている。
河内畠山家が鈴木家によって滅ぼされた。
近畿地方の大名。
1560年12月
先月の収支を確認した。
工作費用がなくなったので多少倹約になった。
行動報告を確認した。
国人衆の関心が増加した。
廻城の兵舎を開発した。
最大兵数が1191まで増える。
国人衆の懐柔をした。
引き続き、山ヶ野衆へは三郎。
→74%の支持が得られれば大きい。
財部衆へは勝平を向かわせた。
→こちらも76%くらい支持を得られそう。
島津に対抗して相良家も出陣した。
佐敷城を目指し島津は二手に分かれる。
佐敷城では相良家の兵と阿蘇家の兵が迎え撃つ。
戦闘開始。
→義弘隊劣勢。
→新日斎隊はまだ到着していない。
1561年1月
先月の収支を確認した。
収入を増やしたいところ。
→赤字続きは厳しい。
行動報告を確認した。
肝付家への援軍期間は残り1ヶ月。
→これが切れればこちらから肝付家へ援軍を要請できる。
→島津義弘、島津新日斎が留守なのはチャンス。
国人衆の支持がさらに上がった。
→都之城で戦をする際は助太刀してくれるはず。
廻城の兵舎を開発した。
最大兵数が1312になる。
引き続き国人衆を懐柔した。
財部衆。
→90%近くいきそう。
山ヶ野衆。
→こちらも90%近くいきそう。
島津と肝付の信用を確認した。
島津は軽侮のまま。肝付は普通。
次にやること
- 周囲の国人衆を味方につける。
- 肝付家からの援軍期間が終わり次第、肝付家に援軍を要請する。
- 島津の都之城を落とす。